2022年7月「低山はいかい」

井の頭案内入門編

(令和4年7月31日(日)実施 )
【場所

井の頭公園駅-神田川源流-井の頭池畔(南側)-黒門-参道-狛江橋-水生物園-お茶の水-御殿山-

玉川上水(万助橋)-自然文化園本園入り口-こもれび広場-動物園-彫刻館-童心居-こもれび広場


集合後、江戸最初の上水・神田川の始まり「水門橋」を経てひょうたん池へ。途中、橋の側石が木の根により持ち上げられ、メタセコイアの根が水と酸素を求めて龍の如くのたうった結果のように思われた。ひょうたん池には、繁茂する外来種のコカナダモの駆除の苦労がある反面、水質を改善している節もあるのだと伺う。確かに水は澄み、酸素の気泡が目につく。

 

弁財天へ下る石段や周囲の見事な石灯籠、水盤や橋桁などに刻まれた文字に年代・寄進者・地名等が読み取れ、中には伊勢屋など著名な江戸商人の名前も見て取れた。江戸の町を潤す神田川の源流に建つ弁財天への信仰の深さ、小金井桜に連なる行楽地としての賑わいを偲んだ。

水生物園のある中の島に掛かる「七井橋」・「狛江橋」の名の由来、池の名称「井の頭」に関する徳川家光の故事に思いを馳せ、その歴史を辿る。また、ラクウショウなど落葉性ヒノキ科4種との出合いというまたとない学習の機会も得た。「水生物園」で休憩。井の頭自然文化園「こもれび広場」で、陽射しを避けながら昼食。

 

食後は、御狩場としてスタートした江戸初期から今に至るまでの樹木の変遷について幹事の話を聞く。神田上水の水源林、御用材の供給源としての樹林地、明治政府の官林化、売却、伐採による湧水の枯渇、東京府による買戻、小楢や椹の植栽、更に「御料地」ヘの編入、池畔の杉植林を経て、終戦後、杉は建材として伐採された。現在、一本のみ歴史の生き証人として残る。

明治38年、渋沢栄一により井の頭学校が開設され、庭木として朴の木や楷の木(学問の木)が植えられ今も残る。朴の木は株際での更新ではなく、見上げる程高い位置で分かれている。このように高い位置で更新される場合「頭木更新」とも呼ばれるそうだが、その更新の経緯ははっきりとしない。

 

見処は、異形の朴の木、楷の木の他、ソロ(犬四手、赤四手)の目立つ森、燃料用の松脂採取跡がハート型に残る赤松、開けた場所で伸び伸び育った欅、樹齢200年の平地の橅、ヒトツバダコ、ハナノキ、節毎に色が違って市松模様に見える金名竹等々、目の付け所で解説の種はみつかるものなのだと思う。

「リスの小径」で枝にもたれ暑さにだらりと伸びきったリスの姿に己が身を重ね、冷房の効いた北村西望の作品を展示する彫刻館へ。高い天井まで聳える作品、作者の息づかいが残る空間、手にした工具などは見逃したくない。その近く、木々に囲まれた空間に野口雨情の書斎を移築した品の良い「童心居」が静かに佇んでいた。杉林、公園入口の石碑、井の頭学校などは、その当時の貴重な写真と共に紹介してくださり、一気に脳内タイムスリップが出来、イメージを描きやすかった。安田さん、猛暑の中、ご案内、ありがとうございました。入門編に続く、次の機会を楽しみに待っております。

(写真:上段より弁財天への参道黒門、落葉針葉樹ヒノキ科4種の同定、1945年の松脂・採取跡から御殿山の変遷を推定、リスの小径)

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(廣川さんの詳しい報告をご覧になれます)
低山はいかい井の頭案内入門編.pdf
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都立井の頭恩賜公園と井の頭文化園へのアクセスはこちらから

 

井の頭恩賜公園

 

井の頭自然文化園

 



参加者:17名 安田(幹事)、石井、入江、小河、小太刀、嶋田、鈴木、瀬川、高橋、田口、原田、日比、廣川(報告)、福田、古谷、丸山、横井、