2021年12月「低山はいかい」

冬の野川公園〜はけの道を訪れる

(令和3年12月22日(水)実施 )
【場所 武蔵小金井駅〜武蔵野公園〜野川公園〜調布飛行場〜はけの道〜武蔵小金井駅 


国分寺崖線に沿って広がる武蔵野公園・野川公園を歩く


「土地の人はなぜそこが『はけ』と呼ばれるか知らない。」大岡昇平『武蔵野夫人』の冒頭の一文である。この物語は終戦直後の東京西郊外、現小金井周辺を舞台にした「国分寺崖線」と「はけ」に関する地理学的描写とそこに生きた女主人公たちの人間存在の肯定を綴った作品である。

 

「国分寺崖線っていったい何」とかねてから気になっていたところ、今回の低山はいかいのテーマがそれと知りワクワク気分で参加した。

 

タモリ張りの崖観察は武蔵小金井駅から南へ数分歩いた所ですぐに始まった。前原坂上交差点から南の小金井街道は下り坂道路になっており、坂道の両側には深く落ち込んだ状態でビルが立ち並んでいる。すなわち道路もビルたちも10m以上の深い崖下の土地の上に建設されているのだ。この高さ1020mの崖の連なりは何と立川市から国分寺市、小金井市等を経由し世田谷区、大田区へと延長30kmにわたり概ね野川に沿っており、これこそが「国分寺崖線」と呼ばれているとのことだった。

 

その「国分寺崖線」は太古の昔、多摩川(多摩川が流れを変えた後に残った小河川が野川)が武蔵野台地を浸食することにより誕生した崖斜面地である。その崖内部を構成するローム層、礫層を通して崖下のあちらこちらで綺麗な水がこんこんと湧いており、この湧水のある辺りが国分寺崖線の内でも特に「はけ」と呼ばれているという。この「はけ」のおかげで縄文の昔から生活用水が得られ、同時に樹林帯や勝れた眺望、日当たりに良さに恵まれた為、そこに快適な生活空間が産み出されたと説明を聞き、なるほどと納得である。

 

昔は田んぼであったという武蔵野公園や、元は国際基督教大学所有のゴルフ場であったという野川公園を歩いた。冬枯れの欅、櫟、小楢に武蔵野の名残りを感じ、銀杏、百日紅、犬四手、満天星たちにも、したたかに芽吹きの準備をしている余念なさを観た。山香ばしの葉を落とすまいとの姿、栴檀の枝先にたわわに成った房状の黄色い実が印象的であった。

 

女主人公道子の生きた武蔵野の林はどんな景色であったのだろうか。

 

気づけば陽も弱まり、皆の影法師も長く伸びている。そう、今日は冬至で明後日にはサンタがやってくるのだった。

(写真:調布飛行場を背景に)


【参加者】18名 望月政雄(幹事)、福田正男、瀬川真治、田口農雄、福重昌行、小勝眞佐枝、飯塚義則(写真)、清水長、伊藤謙二、小太刀健、入江克昌、丸山正、武田寧、小菅智彦、嶋田佳代、川嶋直久、浜畑祐子、熊木秀幸(報告)