2021年11月「低山はいかい」

晩秋の猪俣党のふる里寄居町の鐘撞堂山・羅漢山をめぐり、鉢形城跡を訪ねる

(令和3年11月24日(水)実施 )
【場所】 寄居駅天正寺大正池登山口鐘撞堂山―円良田湖羅漢山少林寺玉淀ダム鉢形城跡寄居駅 


寄居町は、山地、丘陵、台地、低地と多様な地形に恵まれていて、荒川がその中央を屈曲しながら東流し、素晴らしい風致と自然が豊かな古くからひらかれた歴史ある町である。戦国時代には北条氏邦が猪俣党の一族藤田氏の養子となり、鉢形城の城主として後北条氏の北関東支配の拠点とした。寄居町の古い歴史の一端をのぞきながら、晩秋のこの地の自然に接する。


都心からかなり離れているためか、今回のはいかい参加者は9名と少なく、自己紹介では「2時間半かかった」とか「実家の高崎から来た」などの声が出ました。絶好のお天気の中歩きだすと、地元の方がはいかいメンバーに声をかけてくれ、鐘撞堂山に行く途中では竹炭を焼いているおじさんが、「お茶でもどうぞ!」と言ってくれる。寄居、すごいぜ!

鐘撞堂山は、鉢形城の物見台の役割を担い、大事があると鐘をついて鉢形城に急を伝えたと言われているそうですが、どう考えても鐘の音が届くとは思えない距離でした。ただ、見晴らしは素晴らしく、榛名山、草津白根山、浅間隠山、両神山、奥多摩の山々や笠山など比企の山々、筑波山、スカイツリーなど見渡すことができました。

羅漢山の頂上には釈迦三尊像などがあり、少林寺に下りていく道筋には「五百羅漢」と呼ばれる様々な様相の羅漢像が設置されており、その数に圧倒されました。いくつかは首が取れたりしていましたが、天保三年(1832年)に完成したものとは思えない保存状態の良さに驚きました。

その後、玉淀ダムの発電所わきで昼食を取り、ダムの上を歩いて荒川を渡り、鉢形城跡に向かいました。 鉢形城跡は、荒川と支流の深沢川に挟まれた断崖絶壁の上の天然の要害の平山城で、日本100名城に選ばれています。この地は、交通の要所に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点で、後北条氏による北関東支配の拠点として重要な役割を担いました。きちんと管理されており、樹木展示林、花木園などもあり、他にも楽しめる場所でした。

時期的に、花は皇帝ダリアやサザンカ、ジュウガツザクラくらいでしたが、色々な実(テイカカズラ、ジュズダマ、カラスウリ、コウヨウザン、ダイオウマツなど)を拾うことができました。行程は約11kmほどで、充実した晩秋の一日を過ごすことができました。幹事さん、ありがとうございました。(写真:鐘撞堂山山頂及び玉淀湖で)


【参加者】飯塚義則(幹事)、瀬川真治、福田正男、福重昌行、平野裕也、田川裕則、丸山正、小菅智彦、小勝眞佐枝(報告)